言葉というものは辞書でひけば、その意味が分かります。しかし、意味と意味合いというのは異なってきます。たったひとつの同じ言葉でも、言い方や空気、雰囲気や表情の違いによって、多くの捉え方が可能になります。たとえば「嫌い」という言葉を例に取り上げてみても、辞書で調べればそのままの意味が出てきます。
しかし、人と人との関わり合いの中で使われる「嫌い」という言葉は様々な意味合いを持ちます。愛し合っているはずの恋人同士が喧嘩をしたときに「嫌い」という言葉が使われることがあります。
この「嫌い」は言葉そのままの意味でしょうか。
それは違います。
本当にただ嫌いであるならば恋人でいる必要がありません。すぐに別れてしまえば済む話です。恋人同士で使われる「嫌い」という言葉には、自分の好きな相手に自分の意図や意志が伝わらず、理解されないことに腹を立てているという意味が込められている場合があります。
つまり、本当は相手のことを好きなのです。
好きということは、嫌いとは正反対の意味を持ちます。好きであるからこそ、ある特定の事情において嫌いという意味合いが浮き彫りになってきます。
しかし、このような意味は辞書をひいてもどこにも記載がありません。これが人間が実際に言葉を使う際に、様々な一面を持つということです。
つまり、言葉は言葉としてひとつの意味を形成していますが、それがセリフというものに成り代わった場合、無限の意味合いが付加価値としてついてくるという点を知っておく必要があります。
間をためるとは?
言葉の意味とは別の付加価値を相手に印象づけるテクニックとしては間をためるという方法があります。このテクニックは、独白と会話の違いにもしばしば応用されます。
独白をするセリフを読み上げるとき、ついつい会話を意識してしまうことがあります。言葉は基本的に相手に何かを伝えるものであるという固定観念があるからです。しかし、この点も大きな誤解といえます。たしかに人が生きていて耳にしたり目にするほとんどの言葉は、他人が自分に対して発するメッセージに違いありません。
唯一他人が関わらない言葉の役目というのがあります。それが独白というわけです。
自分が自分に対して何かしらの説明をするようなシチュエーションのことをいいます。
このような場合、誰かにメッセージを伝えようとするような会話のスタイルをとってしまうと、とても陳腐な印象になってしまいます。だからこそ、間をためる必要があるのです。
会話で使われる言葉は少なからず相手にたいする気遣いが、無意識のうちに行われています。相手が聞き取りやすいように、また、理解しやすいように言葉を使います。喧嘩をする場合も同じです。相手に自分が怒っているということを伝えるための気遣いが働いているのです。
一方で、独白はそんな気遣いがまったく必要ではありません。言いたいことは自分自身がしっかりと既に把握しているはずなわけです。それでもわざわざ言葉を口にするということは再確認という意味でもあります。だからこそ、間をためることによって、自分が自分に対して、分かっていることを再度認識させているのだという印象を第三者に理解させることが出来ます。
独白というのはセルフコントロールのひとつであるともいえます。
本来ならばわざわざ言葉にする必要のないことで、頭のなかで整理させれば済む話なのです。しかし、人は確証のないものに不安を覚えてしまいますので、自分の声を使ってそれを音にすることで、耳で聞いてそれが確かなものだと安心することができるのです。
まとめ
このような独白のメカニズムをしっかりと理解して、間をためたセリフを言えるようになれば、印象により深みが増すことでしょう。