外郎売(ういろううり)の科白を、私が理解している範囲で原文とともに現代語訳にしました。
外郎売は発声や滑舌訓練の台本に過ぎないと、ただ口に出せばいいとか、ただ覚えればいいとかで留まっては表現者としてはダメです。なるべく外郎売の科白の意味を知った上で、練習してください。
目次
外郎売の科白~原文と現代語訳の比較
第一段
拙者親方と申すは、御立会の中に、御存じのお方もござりましょうが、お江戸を立って二十里上方、相州小田原一色町をお過ぎなされて、青物町を登りへお出なさるれば、欄干橋虎屋藤右衛門、只今は剃髪致して、円斉と名乗りまする。
私の親方は、この場に居合わせている人たちは、すでに知っている方もいるでしょうが、東京を出発して、関西方面へ78.5km、神奈川県小田原の東はずれの一色町を過ぎた、青物町をさらに西へ行った所に住んでいまして、欄干橋虎屋 藤右衛門、現在は髪を剃り、(隠居号を)円斎と名乗っています。
※江戸時代の人は、現役を引退し隠居すると、頭の毛を剃り、号を名乗りました。これは、逆修という仏事を営むためだったと言われています。
元朝より大晦日までお手に入れまする此の薬は、昔陳の国の唐人、外郎という人、わが朝へ来たり、帝へ参内の折りから、此の薬を深く籠め置き、用ゆる時は一粒ずつ、冠の透き間より取りい出す。
元日の朝から大晦日まで、お手にとって頂けるこの薬は、むかし優れた国の中国人、外郎という人、日本の朝廷へ来て、宮中に参上する時でさえ、この薬を自分の冠の中に大事にしまっておいて、使う時に1粒づつ、冠の隙間から取り出して使用しました。
依ってその名を帝より、透頂香と給わる。即ち文字には頂き、透く、香と書きて、『とうちんこう』と申
す。
それで、薬の名を時の天皇より、「透頂香」と下賜されたのです。すなわち文字には「頂き、透く、香い」と書いて「とうちんこう」と申される。
※身分の低い者は天皇の御姿を直接見ることも、姿を見せることも許されなかった時代です。 「頂き、透く、香い」は、冠の最も上の部分から、遠く離れたところからでも、良い香りが漂ってくることに気付く程だということで、名付けられたととらえるのが自然でしょう。
只今は此の薬殊の外、世上に弘まり、ほうぼうに偽看板を出だし、イヤ、小田原の灰俵のさん俵の炭俵のと、いろいろに申せども、平仮名をもって「ういろう」といたしたは、親方円斉ばかり。
このようにして名前が付いたこの薬ですが、予想以上に、世の中に広まりまして、いろんな所で類似品まで出だし、さて、小田原の、灰俵だとか、さん俵だとか、炭俵だとか、色々と書かれているようですが、平仮名で「ういろう」としましたのは、親方の円斉の薬だけです。
※「灰俵」、「さん俵」、「炭俵」は、小田原(おだわら)にかけた言葉ですね。ういろう薬は東海道を上下する旅人によって口コミ的に天下に名が知られた程だったので、『続江戸砂子』にも記録があるように、偽ういろう薬に悩まされていたようです。
もしやお立会の内に、熱海
か塔ノ沢へ、湯治にお出なさるるか、または伊勢御参宮の折からは、必ず門違いなされまするな。
もしこの場に居合わせている人たちの中で熱海や箱根へ、温泉へ病気の療養に行くときや、また伊勢神宮へ参りする旅のときは、訪ねるべき店を間違えないようにして下さい。
※江戸時代は、観光目的の旅は許されていなかったので、信仰や湯治という名目で旅に出ました。伊勢参りは、誰もが一生に一度は行きたい憧れの旅行先でした。
お上ならば右の方お下りなれば左側、八方が八棟、表が三ッ棟玉堂造り。
京都方面へ向かうならば右側、東京方面へ向かうならば左側に店があって、あらゆる方面が城郭と寺院の形式を取り入れた流行りの建築デザインで、さらに店の入り口には三つ棟もある美しい造りの建物です。
破風には菊に桐の薹の御紋を御赦免あって系図正しき薬でござる。
屋根の破風には、菊花&桐の薹の家紋を使うのを許される程、とてつもなく格式の高い歴史を持つ店で作られた薬なのです。
※江戸時代の初期に、礼装・正装の衣服に家紋を入れる慣習が一般化しているので、一般庶民でも広く家紋を所有し始めています。「菊花」は天皇家のみの紋ですが、藤原氏が天皇家から下賜された「桐の薹」は豊臣秀吉の吉例によって下層庶民でも使っていました。
第二段
イヤ最前より家名の自慢
ばかり申しても、御存知ない方には、正身の胡椒の丸呑み白河夜船。さらば一粒たべかけて、その気味合をお目にかけましょう。
さて、さきほどから店の自慢ばかり話していても、(この「ういろう薬」を)知らない人にとっては、正に見たことも聞いたこともない胡散臭い薬だと思われていることでしょう。
なので、これから実際に一粒服用してみせて、その効能をお見せすることにしましょう。
先ず此の薬をかように一粒舌の上に載せまして、腹内へ納めますると、イヤどうも云
えぬは、胃・心・肺・肝が健やかになって薫風咽候より来り、口中微涼を生ずるが如し。
まず初めに、この薬をこのように一粒、舌の上に乗せ、お腹の中に飲み込みますと、さて、何と言いましょうか、胃・心・肺・肝臓がすっきりし、初夏の新緑の木々の間を吹いてくる快い風のような、口の中が少し涼しい感じがしてきます。
魚、鳥、木の子・麺類の喰合せ、その外万病速効あること神の如し。
魚や鳥やキノコや麺類の食い合わせ、そのほか、あらゆる病気に効く速さと言ったら、まさに神業の様です。
さて此の薬第一の奇妙には、舌の廻る事が銭ごまが跣足で逃げる。
さて、この薬ですが特に口がよく廻るという奇抜な効能があり、銭ごまもとてもかなわないくらい位に舌がよく廻りだします。
ひょっと舌が廻り出すと、矢も楯もたまらぬじゃ。
うっかり舌が廻り出すと、矢や楯の武装でも勝てない程に凄いんです。
第三段
そりゃそりゃそりゃ、そりゃそりゃ廻って来たは、廻って来るは、
そらそら、そらそら、舌が廻り出してきた、舌が廻り出してきた。
あわや咽喉、さたらな舌に、か牙さ歯音。はまの二つは唇の軽重開合爽やかに、あかさたなはまやらわ、をこそとのほもよろお。
ア・ワ・ヤが喉音、サ・タ・ラ・ナが舌音、 カが牙音、サは歯音、ハ・マの2音は唇音、(この薬のおかげで)口の開け閉めがハッキリとしていて聞きやすい、「あかさたなはまやらわ」、「をこそとのほもよろお」。
※当時の音韻上の心得である、音の区別を教える記憶用の音響歌を披露し、ちょっと学のあるところをアピールしている。集まった客は高尚な知識を聞き、冷や水を浴びさせられたに違いありません。ちなみに、サ行が重出しているのは、半舌音と半歯音があるためです。
※ここからの科白は早口文句です。22句ほどを連発しますが、1つのストーリーとして構成されていない(調子の良い文句を集めただけ)ので、早口文句には意味がないと説明を省略している方が多いです。ただ、似た音を並べて、一つの単語で複数の意味を持たせるといった言葉遊び。当時、講談や絵双紙で人気の高かった『酒呑童子』の話。シャレを交えるなど、当時の客が聞いていて飽きないように工夫されています。
一つぺぎへぎ二へぎほしはじかみ
一つのへぎ折敷、2つのかきもち、 はじかみ生姜、
※ここだけは自信がありません。。。
盆まめ盆米ぼんごぼう。
お盆のお供えの豆、米、ゴボウ。
摘み蓼つみ豆つみ山椒、書写山の社僧正。
摘んだばかりの、葉・茎には辛みがある蓼、豆、山椒。書写山のお経をひたすら写すお坊さん。
粉米の生噛み粉米の生噛みこん小米のこ生噛み、
※「粉米」は、脱穀中の過程で砕けて粉のようになったお米のこと。「小米」は、その後に「こ生噛み」とつなげているので、少し米粒の形の残っている状態で、少し噛みごたえが残っていたのでしょう。
繻子緋繻子、ひじゅす繻子繻珍、
※「繻子」は繻子織りにした織物。「緋繻子」は紅花で染めた繻子。「繻珍」は繻子に紋様を織り出した練り織物。
親も嘉兵衛子も嘉兵衛、親かへい子かへい、子嘉兵衛
親嘉兵衛。
※歌舞伎の名跡みたいですね。
古栗の木のふる切り口。
古い栗の木を切った跡の古い切り口、
雨合羽か番合羽か、
羅紗製のカッパか、すごく粗末なカッパか、
※江戸時代の合羽は、マントのような雨よけ着です。当初は毛織物の羅紗製で贅沢品でしたが、幕府に禁止され、アブラギリの種子から採った乾性油を塗った和紙製に変わってという時代背景があります。偽物に釘を刺していますね。
貴様の脚絆も皮脚絆、我等が脚絆も皮脚絆。
あなたの脚絆も革製脚絆、われわれの脚絆も革製脚絆、
※脚絆は、脛(すね)の擦り傷や打撲の防止のために使用していたもので、時代的には布製が一般的でした。
しっ革袴のしっぽころびを、三針針長にちょと縫うて、縫うてちょとぶん出せ、河原撫子、野石竹。
革袴のほころびを、間に合わせた感じに、3針ちょっと縫って、ちょっとオモテに飛び出せ、河原撫子、野石竹、
※お花のナデシコつながりかも。
のら如来のら如来、三のら如来六のら如来。
※如来は、仏をたたえて呼ぶ称のつながり。
一寸先のお小仏のお蹴躓きゃるな。細溝にどじょにょろり、
ちょっと先にある小さい仏様にお蹴つまづきになるな。細い溝にドジョウがにょろり。
京のなま鱈奈良なま学鰹、ちょと四五貫目。
京の生鱈、奈良の生のマナガツオ、ちょっと17.8kgぐらい、
お茶立ちょ茶立ちょ、ちゃっと立ちょ茶立ちょ、青竹茶筅でお茶ちゃと立ちょ
お茶をたてろ、茶をたてろ、すばやくお茶たてろ、茶をたてろ、青竹の茶筅で、すばやくお茶たてろ。
第四段
来るは来るは何が来る、高野の山のおこけら小僧、狸百匹、箸百膳、天目百杯、棒八百本。
来るぞ、来るぞ、何が来る、高野山金剛峰寺の取るに足らない小僧、たぬき100匹、箸100膳、天目茶碗100杯、棒800本。
※百つながりですね。
武具・馬具・武具・馬具・三武具馬具、合わせて武具・馬具・六武具馬具、
菊、栗、きく、くり、三菊栗
、合わせて菊、栗
、六菊栗。
麦、塵、麦、塵、三麦塵、合わせて麦、塵、六麦塵。
あの長押の長薙刀は、誰が長薙刀ぞ。
あの長押に乗っている薙刀は、誰の薙刀だろうか。
※長押は、家の柱と柱の間に水平に取りつける横木。ハンガーを引掛けたり、額を飾ったりするところです。長薙刀は、打刀と区別するために使われていた漢字です。
向こうの胡麻殻は荏の胡麻殻か、真胡麻殻か、あれこそほんのまの真胡麻殻。
向こうにある油を搾った搾りかすは、エゴマ油を搾った搾りかすか、ゴマ油を搾った搾りかすか、あれこそ本物のゴマを搾った搾りかす。
※当時は、ゴマ油は高価で一般には手の届かないものでした。ゴマの代用品として安価なエゴマが使われていましたが、騙して売っていた商人がいたんでしょうね。
がらぴぃがらぴぃ風車。
※「ごまがら」から音で「がらぴい」、薬効あらたかに口が回転して止まらないぐらいよく回る様子を表しています。
起きゃがれ小法師、起きゃがれ小法師、昨夜も溢して又溢した。
起きろ小法師、起きろ小法師、夕べも寝小便をして、また寝小便をした。
たぁぷぽぽ、たぁぷぽぽ、ちりから、ちりから、つったっぽ、たっぽたっぽ干蛸、落ちたら煮
て食おう。
たぁぷぽぽ、たぁぷぽぽ、ちりからちりから、つったっぽ、たっぽたっぽ干し蛸。
※お囃子(はやし)で使う和楽器の擬音が並びます。囃子は、四拍子を笛、大鼓、小鼓、太鼓でもって、謡や能をはやしたてる日本独自の音楽です。現代では、ひな祭りの五人囃子をみるとわかりやすいですね。『たぁぷぽぽ』・『たっぽたっぽ』は、太鼓の音の擬音。『ちりから』は、音から一人で大鼓と小鼓の2つを担当する二挺鼓(にちょうつづみ)の異名となっています。「つったっぽ」は太鼓の音と釣ったタコとかけている。さらに、「笛」の擬音の「ヒィ」から「干(ひぃ)だこ」にかけている言葉遊びです。
※ここから酒呑童子の手下四天王『星熊童子』、『熊童子』、『虎熊童子』、『金童子』の四人の鬼の頭文字つながりで、言葉遊びしていきます。ここは、『星熊童子』の同音異字の干つながりです。
煮ても焼いても喰われぬ物
は、五徳鉄弓かな熊童子に、石熊石持ち、虎熊虎きす、
凧が落ちたら蛸を煮て食べよう、煮ても焼いても食べることができないものは、五徳、鉄弓、金熊童子に、石熊(熊童子)、石持ち(イシモチ)、虎熊(虎熊童子)、虎きす(キス)。
中にも東寺の羅生門
には、茨木童子がうで栗五合つかんでおむしゃる。かの頼光の膝元去らず。
酒呑童子の手下たちの中で、京の東寺の(表から)羅生門(の石段の間)には、茨城童子が、腕と、ゆで栗を五合つかんで棲んでいらっしゃる。かの有名な源頼光の膝元から付き従って離れることなく。
※羅生門は都の門で、東寺の門ではありません。『酒呑童子』の最も重要な手下は『茨木童子』ですが、昔話では『茨木童子』と『羅城門の鬼』は違う鬼です。しかし、歌舞伎『茨木』と同様に、茨木童子が東寺の門に住んでいた時もあったことを利用しているのか、同一視させています。
※源頼光が酒呑童子を討伐した後、「頼光四天王」の1人・渡辺綱が『羅城門の鬼』の片腕を斬り落とした話があります。東寺と羅生門の間、羅生門の石段ところで兜の錣をつかまれ、鬼と戦っているので、『東寺の羅生門』とつなげているのかもしれませんね。 ここでも、腕(食べられない)と茹でた栗(食べられる)を混ぜ込んでいますね。鬼の腕と栗の鬼皮の鬼つながりといったところでしょう。
第五段
鮒・金柑・椎茸・定めて後段な、蕎麦切り素麺、饂飩か愚鈍な子新発知。
鮒、きんかん、しいたけ、定めて、食後の締めにソバ切り・そうめん、うどんか愚鈍な、なりたて小坊主。
※源頼光の家来は、俗に言う「頼光四天王」が有名です。渡辺綱(わたなべの つな)、坂田金時(さかた きんとき)、占部季武(うらべ すえたけ)、碓井貞光(うすい さだみつ)のもじり。
小棚の小下の小桶に、小味噌が小有るぞ、小杓子小持って小掬って小寄こせ。
棚の下の桶に味噌が有るぞ、しゃもじで味噌をよこせ。
※テンポよくするので『小(こ)』をつけていますね。
おっと合点だ、心得田圃の川崎・神奈川・程ヶ谷・戸塚は走って行
けば、灸を擦り剥
く三里ばかりか、藤沢、平塚、大礒がしや、小磯の宿を七つ起きして、早天早々、相州小田原、透頂香、隠れ御座らぬ。
おっと合点だ、心得た、川崎宿・神奈川宿・保土ヶ谷宿・戸塚宿は走っていけば、三里ぐらいに感じられる、藤沢宿・平塚宿・大磯宿と大忙し、小磯の宿を空が明るくなる前に出発して、早朝から早々と、(こうして江戸から小田原までの20里を、早口文句さながらに一瀉千里に歩き)相州小田原の透頂香を持って江戸に着いたのです。
※江戸時代、1日の旅程旅は、約10里(40km)と言われています。例えば、江戸時代のベストセラー十返舎一九著『東海道中膝栗毛』を参考にすると、弥次郎兵衛・喜多八の二人が江戸を出て最初に泊まったのは戸塚宿。2日目は戸塚から小田原まで歩いています。
※難所・宿場間の距離が長いところには自然発生的に、非公認の『間の宿』がありました。宿泊は原則禁止でしたが、川留などで宿場の宿泊施設が足りなくなったときのみ、宿泊が公認されたそうです。ただ、小磯の宿はないはずなので大磯小磯と並べたのは、「大○小○」と調子を合わせる昔ながらの言葉遊びと推測するのが良いでしょう。
貴賎群衆の、花の御江戸の花ういろう。
身分の高い者から低い者も大勢集まっている、華やかな東京の花ういろう。
アレあの花を見て、御心を御和らぎやと言う、産子・這子に至るまで、此の外郎の御評判、御存じ無いとは申されまいまいつぶり、角出せ棒出
せぼうぼう眉に、臼、杵
あれ、あそこにある花を見て、そのお心をなごやかになさいませなという、生まれたての新生児からハイハイのできるようになった赤ちゃんまで、この『ういろう』の評判、知らないとは言わないでしょうカタツムリ、角出せ棒出せぼうぼう眉毛に、うす・すり鉢のように派手な音を立てている、にぎやかな所へと遊びに来てる皆様に、ういろう薬をあげなけれなならない、ういろう薬を売らなければならないと、うーんと気を張って、東にある浄土の主、薬師如来もご覧あれと、
※「薬師如来」を「薬の元締め」といっているのは、「薬師如来」の三昧耶形が薬壺だからでしょう。なので、「東方世界」は、「薬師如来」の浄土「浄瑠璃浄土」であると解釈するのが自然ですね。
ホホ敬
( ) って外郎( ) はいらっしゃりませぬか。
ホホ、お立ち会いの皆様も(薬師如来を)敬って、『ういろう薬』のお入り用はありませんか。
※ホホは、歌舞伎で重々しさを添える、かけ声のこと。笑ってるのではありません。
外郎売の用語
- 江戸
- 東京の旧称。江戸城の内堀から四里四方(約15kmぐらいの範囲)です。その範囲は、江戸御府内といわれましたが、幕府の唯一の正式見解を示したのは、徳川家康が征夷大将軍に任じられてから200年を過ぎた、文政元年1818年に一度だけです。時代的に、江戸幕府により定められた五街道の起点である日本橋を基準にするのが自然でしょう。
- 上方
- 江戸時代に、京都や大阪など畿内を呼んだ名称。
- 相州
- 相模国の別名。現在の神奈川県北東部を除くエリアです。
- 一色町
- 江戸時代に年貢を米でなく、特産品で納めることを許された町につけられていた地名。現在、地名は残っていない。
- 唐人
- 中国人のこと。ちなみに交易関係にあった朝鮮人は高麗人(こまびと)、オランダ人は紅毛人(こうもうじん)などと使い分けていました。
- 灰俵
- 灰を入れる俵のこと。
- さん俵(桟俵)
- 米俵の両端に当てる円いワラの蓋のこと。
- 炭俵
- 炭を入れる俵のこと。
- 八ツ棟
- 型にはまった建築様式ではないが、装飾的な破風が屋根に多くつけている特徴を持つ。
- 三つ棟
- 棟の形を示す種類の一つ。別名、真の棟とも言い、相州系に多い。
- 玉堂造り
- このような建築様式はないが、豪華かつ壮麗な建築物のことを示す。
- 正真の
- 偽りのないこと。
- 胡椒の丸呑み
- 表面だけを見て、真の意味を理解しないこと。
- 白河夜船
- 知ったかぶりをすること。ぐっすり居眠りして寝ぼけること。
- 銭ごま
- 一文銭を数枚重ね、穴に棒を通して作った独楽(コマ)。江戸時代は、宴席などの場で作って回し、回り終わるまでに浄瑠璃一段語る、等の遊びをしたそうです。
- 後段
- ごちそうの終わりにいったん飯を出してから、さらにその後で酒また食い物を出すこと。
- 高野の山
- 和歌山県の高野山。
- 天目
- 茶道で使う茶碗の種類の一つ。天目釉と呼ばれる鉄釉をかけて焼かれている。
- 鉄弓
- 鉄弓は、鉄灸・鉄橋とも呼ばれる。魚を焼いたり、餅を焼いたり、焼き鳥をやいたりするときに使う器具のこと。細い鉄の棒、細い鉄線を格子状に編んだ金網状と形はさまざま。
- 新発知
- 漢字にいろんな説がありますが、意訳では新発意とします。悟りを得ようとする心を起こし、仏門に入ったばかりの人のこと。
- 灸
- お灸のこと。
- 三里ばかりか
- 旅人は、足の三里にお灸をすえて、足腰の養生をするのが常識だったそうです。その万病に効くとされた三里のダジャレ。
- 花ういろう
- 金銀二色のういろう薬のこと。正月などめでたいとき用の特製品。
- 心得田圃
- 江戸時代の流行語で、心得たの無駄口。酒器のたんぽ(ちろり)にいいかけたシャレ。
- 御和らぎや
- 心をやわらげなさい。
- 産子
- 産まれたばかりの子。
- 息せい引っぱり
- 全力で。