字幕翻訳を行う場合、これをしておかないと視聴者が全くついていけず、何の意味もなさないことになるというものがあり、それらを厳守した上で翻訳がなされます。それは英語から日本語にする、言語の違いを極力埋めようとする作業の中に色々と含まれています。

なるべく表現を短く

1つ目は日本語訳をそのまま乗せるのではなく、なるべく短い表現で字幕にするというものです。ナレーションでもそうですが、英語を翻訳し、その翻訳したものを実際に喋っている人にアテレコした場合、その人が既に喋り終えているのにまだ翻訳したものを読み上げていては聞いている側はなんのことかわからなくなるだけでなく、間延びしてしまいます。

アニメでも登場人物の口が動いているときにアテレコが行われ、登場人物の口が閉じているのに会話がなされることはまずありません。字幕翻訳でも同じことが言えて、映像として出ているもの、実際に字幕となって出ている文章が一致しないとそれこそなんのことを指し示しているのかわからなくなります。

そして、無理に詰め込もうとすると、翻訳したものが何行にも及んで出されることになります。仮にそれを一時停止できるのならいいですが、たいていの場合は流してみることになります。すると、何が書かれてあったのか、全てを把握する前に次の場面に行ってしまい、内容の理解が進まないということが考えられます。これでは翻訳をする意味がありません。

そのため、映像の動き、登場人物のセリフに合わせて翻訳をする必要があります。そのためには、1秒間に4文字というルールを厳守しなければなりません。このルールが登場したのは、昭和初期に日本に初めて字幕つきの映画が登場したときです。

その当時の観客がスムーズに読み取れる文字数はどれくらいか実験が行われ、1秒間に4.5文字、余裕を持たせて1秒間に4文字という結論が出て、字幕翻訳のスタンダードになりました。つまり、英語のセリフ1秒につき、日本語4文字で表現することがこの場合極めて重要になります。

幹となる情報を的確に

2つ目のポイントは、1つ目のポイントに付随することですが、翻訳する文章をなるべく短くする、大事なことにかかわる表現以外はなるべく省略するというものです。例えば、英語で商品に関する説明がなされたとして、それを翻訳する際、なるべく語られたこと全てを翻訳しようとします。すると、最初に出てくる翻訳文章は大変長く、1秒間に4文字という範疇から大きく外れた文章となってしまいます。ですので、どうしても削る必要が出てくるのです。

その際に、どこの部分が一番伝えたいことなのか、これをしっかり読み取った上で翻訳することが求められます。いわゆる情報の選択、これが重要です。視聴者がその動画を何度を見て、その真意を汲み取ることをすればいいかもしれませんが、そういった人はごくまれで、たいていの視聴者は1回しかその動画を見ません。その1回で確実に情報を伝達するには大事なことだけを伝える必要があります。

つまり、幹となる情報を残し、枝葉となりがちな表現を切り落とす、これが字幕翻訳で大事なポイントなのです。幹となりそうな情報が何か、枝葉となる情報はどれか、どう落とせばいいか、そうした作業を字幕翻訳では繰り返し、ナレーションにする場合でも同じような作業が行われます。

使う言葉を吟味する

最後の3つ目は、日本語の表現をたくさん知っておくことです。翻訳をする際に1秒間に4文字ルール、そして幹だけ残し、枝葉を切った情報を心がけたとしても、肝心の表現がわかりにくければ全くもって意味を成しません。

日本語といっても、昔の人はよく使っていたもの、難しくて日常生活ではなかなか出てこない単語、そして、確かに日常生活では使っているが少なくともこの映像においては不適切なものなど様々あります。TPOにあわせて言葉を変更する、その表現力が求められます。

視聴者は辞書を手にしたり、検索エンジンを開いた状態で字幕翻訳のある動画を見てくれるわけではありません。1回の動画視聴で最大限の情報を伝えなければならず、難しい表現、最近あまり聞かない言葉が出てしまうと、どういう意味なのかよくわからなくなります。つまり、生きた言葉、普段から使われる日本語を使いながら、それでいてTPOに合わせたもの、元の映像とリンクした表現が求められるのです。もちろん英語ができることも大事ですが、同時に母国の言葉について勉強することも字幕翻訳では大事です。

まとめ

字幕翻訳を行う際にこの3つのポイントは重要です。ナレーションにおいても、言い回しなど日本人でもしないような違和感のある言葉の数々が出てきては戸惑いを与えるだけです。

こうした翻訳作業を行う際には、果たしてこれで意味が通じるのか、視聴者目線でも確認していくことが必要であるとともに、難しい表現を極力しないながら、文字数制限に合わせたうまい表現方法を磨いていくことが求められていくことになります。